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Javascriptが無効となっている為、一部の機能が動作しません。動作させる為にはJavascriptを有効にしてください。 メインメニューへ移動します 本文へ移動します ここからサイト内共通メニュー 文字の大きさ 配色 松前町ホームページ ここからメインメニュー ホーム 松前の文化財 松前城資料館 松前町郷土資料館 町の取り組み イベント情報 メインメニューここまで サイト内共通メニューここまで ここから本文です。 まつまえの文化財 >  文化財一覧 >  カラフトアイヌ供養・顕彰碑 カラフトアイヌ供養・顕彰碑 指定 町指定 区分 有形文化財 指定年月日 平成21年(2009)3月26日 所在地 松前町字松城 所有 浄土宗高徳山光善寺 紹介文 嘉永6年(1853)秋に、ロシア兵70名以上が樺太南部の久春古丹(後の大泊、現コルサコフ)に要塞を築き、以後8カ月にわたって軍事施設を構築したという、「クシュンコタン占拠事件」があった。この石碑は、嘉永元年(1848)に72歳で没した惣乙名・キムラカアエノを弔い、供養するために、脇乙名ハリハリホクンが清水平三郎の世話を介して建立したものである。その両側面には、ロシア軍占拠下の危機的な状況下であったにもかかわらず、現地に踏みとどまったカラフトアイヌの人々や、越年番人をソウヤに送り届けた和人に対して協力的な行動であったことと、それを行った人々の名が記され、全体として顕彰碑となっている。なお、供養・顕彰碑建立の中心的人物であった清水平三郎は、安政3年(1856)に幕臣に登用され、同年6月に箱館奉行所支配のクシュンコタン詰、調役下役出役を命ぜられていることから、この石碑はこの頃にクシュンコタン運上屋付近に建立されたものと考えられている。 この石碑がどのような経緯で光善寺に所在するのか不明であるが、当時の日ロ間の国境交渉にかかわる領土概念や、幕府の対ロシア、対アイヌ政策を知る上で、貴重な資料である。 地図 参考 PDF『松前の文化財』(2011年松前町発行) (411.1KB) 一覧へ戻る PDFファイルをご覧になるには、Adobe Readerが必要です。Adobe Readerをお持ちでない場合は、"Get Adobe Reader"アイコンをクリックしAdobe Readerをインストールの上ご参照ください。 文化財一覧 オオミズナギドリ繁殖地 松前氏城跡福山城跡 福山城(松前城)本丸御門 松前小島 大館跡 松前藩主松前家墓所 龍雲院 法源寺山門 銀板写真(松前勘解由と従者像附添状) 松前神楽 旧福山城本丸表御殿 玄関 松前祇園ばやし 徳山大神宮 松前屏風 求福山山車の人形 その他付属品 薙刀 銘 堀井正次 不動明王立像 木造 阿弥陀如来立像 木造 日蓮聖人坐像 光明寺寛保津波の碑 泉龍院寛保津波の碑 松前追分節 松前三下り 月島奴振り 白神タナバタ 江良杵振舞 赤神神社棟札 蠣崎波響筆 柴垣群雀図 法源寺古文書 源直義作 刀 松本家土蔵及び松本家資料 斎藤流松前家資料 宗円寺旧蔵 羅漢像 自在法師遼天作 観音像(神像) 難船図絵馬 月島奴振立道具 松前沖揚げ音頭 カラフトアイヌ供養・顕彰碑 佐藤家資史料 松前家 伝 銅雀台瓦硯 藤倉家資史料 アイヌ民族関係資料 本文ここまで ここからフッターメニュー 松前町教育委員会文化社会教育課(文化財) 〒049-1513 北海道松前郡松前町字神明30番地 電話 0139-42-3060 FAX 0139-42-2211 松前城資料館 〒049-1511 北海道松前郡松前町字松城144番地 電話・FAX 0139-42-2216 お問い合わせ ご利用案内 サイトマップ 個人情報の取り扱いについて 免責事項 アクセシビリティ方針 ツイートする Copyright © MATSUMAE Town All Rights Reserved.

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